ここからワンダーランド

毎回テーマに沿って4人が思い思いに綴ります

ガールミーツ

しゅうちゃんには、幸せになってほしいんだよね、と、冗談めかして言われたことがある。

握手会の小さな、パーテーションで区切られた空間。完全なる個室ではないそこで、そのとき、目の前の男は目を輝かせてそう言った。その輝きは希望でも興奮でもなく、妙にべったりと張り付いた謎の感情から来たものだったように記憶している。なんてね、とごまかされたが、多分本気だった。けれど言葉とは裏腹に、私が「幸せ」をつかむことを拒否しているような面持だった。

いちいち覚えていては頭がおかしくなるが、彼のことはなぜかはっきりと覚えている。去年の6月、新曲リリースの握手会。彼は何度も来た。何度も何度も来たうちの、確か4回目だった。今まで言うのを我慢していたけど、思わず言っちゃった、というふうだった。気持ちが悪かった。純粋に。その時はまったく彼の感情を理解できなかったし、理解してはいけないと思っていた。

けれどどうだろう。丁度1年後、今の私が、彼と同じ気持ちを抱いているなんて。






佐世子はいつも能天気に、新幹線でも、バスでも、現場の食事でも、私の隣に座る。
今日もそうだった。キャリーケースを上部の荷物入れに、マネージャーに収めてもらったあと、小さなキルティングのバッグを持って、私の隣へ来た。
白い二の腕が私の腕に接した。ひやりとやわらかい感触。空調が効いているのに、無防備だ。私は膝にかけていたパーカーを取って、佐世子の肩に着せた。近づくと、いつも使うコロンの香りが鼻先をかすめる。何のコロンかも知っている。見て見て買ったの、と、楽屋で見せられたから。

「えへへ、しゅうちゃんおおきに」
「うん」
「今日もお隣やね」

バッグからグミの袋を取り出す。佐世子のバッグの中には、彼女の好きな「かわいいもの」ばかりが入っている。桃色、黄色、水色。佐世子の頭の中みたいだ。
私は前の座席についているボードを下ろし、スマートフォンと飲み物をそこに置く。佐世子もならった。グミと、キラキラとデコレーションした自分のスマートフォンを置く。こういうことはよくあった。佐世子に、ひな鳥のように動きをまねされること。

明日の東京での番組収録のために、大阪を出発する。
最近東京での仕事が増えてきた。佐世子と私は、よくひとまとめに東京へ呼ばれる。グループの代表としての仕事が多い。アイドルになってから、ずっとひとまとめだ。私と佐世子の名前をくっつけた、コンビの呼び名まである。共通点はどこにもない。私は佐世子について理解できないことも多いし、佐世子もそうだろう。大人に決められて、今日からふたりでひとつだから、と言われただけに過ぎない。けれど佐世子は、それを「運命の出会い」だと心底信じている。純粋に。まっすぐに。

新幹線がゆっくりと滑り出す。腕時計で時間を確認する。午後18時9分。時間通りの出発。

私は目を閉じた。イヤホンを耳に入れて、佐世子が教えてくれたロックバンドの曲を聴く。最近はこればかり聴いている。
佐世子はバッグから台本を取り出して、ラインを引きながら読み始めた。

「まじめ」

思わずそうつぶやくと、佐世子はこっちを下から見上げるようにして、子どもの笑顔になった。
「ちゃんと読まな失敗するもん」
「いつも失敗せえへんやん」
「それは私がいつもがんばっとるのと、しゅうちゃんが隣におってくれるからやで?」
「……そおなん?」
「そやで~」

体のどこかが、きゅうっと音を立てて圧縮されたのがわかった。佐世子といるとこういう風だ、いつも。
私のからだとこころが壊れていく。

窓の外は雨だ。少し走ると、いきなり田舎の風景が見えてくる。青々と茂った緑だったり、土色の瓦を乗せた家屋だったり。視線をそらして、そういうものを見ていた。見ながら、からだのどこが圧縮されてしまったのか、感覚で探っていた。



私は佐世子のことが好きなんだ、と気づいて、だいぶ時間が経つ。

気づくのは簡単だったけれど、認めるのには時間がかかった。人を好きになったことはなかったし、いとおしく感じたこともなかった。いつだって自分が一番かわいかった私が、佐世子を見たとき、思わず涙が出そうな感覚に陥ることに気付いた。そんなはずない、何かがおかしいんだ、と、毎日必死だった。佐世子のことはともだちで、大事な仕事仲間だった。そんなくだらない感情で、彼女を失いたくなかった。

けれど、自分の中に芽生えた感情を「くだらない」と否定し続けることは、たやすいことではなかった。それは自己否定だった。私は必死で自己否定をして、あっけなく体調を崩した。佐世子とするはずの仕事を、ほかのメンバーと代わった。点滴を打たれながら、今から這いずってでも仕事に行く、と逆切れした。佐世子の隣にいることは、私にだけ許された、私の生きる意味のように思った。それを無くせば、私が私でなくなるような気がした。病院のベッドの上で、そんなことを考えて、そのときやっと認めた。「私は佐世子のことが好きなんだ」。

なんて陳腐な物語なんだろう。



流れていく景色の中に、私と佐世子の記憶がある。初めて東京へ呼ばれた日、全然うまくしゃべれなくて、二人で泣いて帰った。たしか、このあたりを通っているとき、仲直りしたんだった。大ゲンカした日もある。原因はものすごく些細なことだった。もう覚えていないくらい。あの日は結局新幹線の中で言い合ったあとも言い足りなくて、新大阪の駅ナカの喫茶店でもう2時間喧嘩したんだった。小さな声でちくちく言い合いして。佐世子が泣いて、私がそれを慰めて、終電で帰った。全員で東京収録の音楽番組に呼ばれたとき、佐世子は「わたしたちは東京の先輩やから」って無駄に胸を張っていたっけ。

私はこうしていつも、一人で記憶を掘り起こす。隣で佐世子が何を考えているのかはわからない。でも、彼女には、能天気でいてほしい。何も考えず、ひたすら明るく、ひらけた道を歩いてほしい。妙にしんみりと、そんなことを考えてしまう。佐世子に対してはいつもそうだ。私に「幸せになってほしい」と、勝手に祈った男と同じように、私は佐世子の幸せを、無責任に、勝手に、祈ってしまう。

アイドルなんて、やめてしまえばいいのに。私も、佐世子も。



「しゅうちゃん」

佐世子が私の肩をたたいた。イヤホンを耳から出して、閉じていた目を開く。思考の中でたゆたっていた眼球が、光を取り戻す。真っ白なトップスを来た佐世子は、私の目に痛い。

「何考えてるの?」

佐世子の問いかけに、一瞬ためらった。こんなことを聞かれるのは初めてだった。佐世子のことを考えてたよ、なんて言えない。考えるだけで笑ってしまう。佐世子はひたすらまっすぐ私の目を見てくる。それも、痛い。

「……寝てた。昨日あんま寝れんくて」
「ほんま?確かに、顔疲れとるかも」
「せやろ~、最近肌荒れてさぁ。もう歳かな」
「えー、全然わからへん。そんなことないよ」
「サプリとか、飲まなあかんかな」
「んん~」

嘘をついた。佐世子はにこにこと、羽根をつくろうようなしぐさで、手元のネイルをいじっている。ごまかせた。私がほっとして、飲み物を一口飲むと、佐世子はパッと顔をあげて、かたまりのような言葉を私に差し出した。


「しゅうちゃん、アイドル、やめる?」



何もかもが止まったような感覚だった。脳みそが縮む、ような。

なんて返せばいいかわからなかった。まさか、佐世子が思考をよめるとか、そういうことまで考える。嘘で返したい。でも、嘘で返せない。佐世子が見ている。私の好きな人が見ている。嘘をつけるのか、私に。上手に、佐世子を笑わせる嘘が。

私は何も言えなかった。


「あんな、佐世子は……あの、ダンスも歌もへたやし、しゅうちゃんに迷惑ばっかりかけるけど、……えーと、がんばるから。今も、佐世子がんばっとるよな?このままずっと、おばあちゃんになってもがんばるし、うーんと、しゅうちゃんも、がんばってほしいなって……思って。なんて言ったらいいかよくわからんけど。今いうのも、めっちゃ変やけど。でも、今言いたかったから、言いました。」

どこに向かっているんだろう、私と、佐世子は。

「佐世子は、しゅうちゃんにしあわせになってほしいねん。せやし、しゅうちゃんが叶えたいことを、一緒にがんばる。しゅうちゃんがしあわせなとき、佐世子も多分しあわせなんよ。たぶんね。やから、しゅうちゃんはしあわせになってください。佐世子のために。」


なぜいま、佐世子はこんなことを。私のことを見ていて、何か感じたのかもしれない。妙な顔をしていたかもしれない。佐世子を心配にさせるような顔。思いつめた顔。


「やめへんよ、ごめん、佐世子、……」

そのことばが本当に嘘ではないか、誰かが、私を裁くような気がした。


今すぐこの列車を降りてしまいたかった。列車を降りて、普通の人間に戻って、佐世子との出会いをやり直して、もっとまっとうに、佐世子と笑いたかった。
人のしあわせを願うこと。佐世子は純粋だ。純粋に、私のしあわせを願っている。でも、私はちがう。佐世子の幸せを願う気持ちは、純粋なんかじゃない。佐世子の「普通のしあわせ」を願いながら、佐世子のことを奪って、自分のものだけにして、ふたりっきりで、生きたいと、本当は思っている。
こんな人間のしあわせを願う価値はないんだ、本当は。だって私が本当の意味で幸せになれば、佐世子は、きっと幸せではない。私は佐世子を不幸せにしなければ、自分をしあわせにすることができない。


あの日、私に「しあわせになってほしい」と言った男の姿を思い出す。

彼はどんな気持ちで、あの言葉を言ったのだろう。私のしあわせを、本当に願うのなら、私が子供を産んでも、知らない男とどこかへ行っても、佐世子と何もかも捨ててどこかへ行っても、それでも彼は私に向けて祈ってくれるんだろうか。私のしあわせを。誰かを不幸にする私のしあわせを。


「……うん 」


目の奥が熱かった。それを佐世子に感づかれないように、下を向いて佐世子の肩を撫でる。困ったとき、私はすぐに佐世子にふれる。間がもたないとき、いつもそうしてしまう私のことを、佐世子は知っていた。佐世子が笑う。

新幹線が停車する。横並びの座席に座っていた女性が降りて、代わりに違う男性が乗り込んでくる。わたしたちは降りない。佐世子に手を握られる。

降りなくてよかった、と、いつか思う日が来るのだろうか。それはいつで、そのとき佐世子は、私の隣にいるのだろうか。
聞きたいことはたくさんある。私は胸の中に溜まった息を吐き出して、佐世子の手を握り返した。それが正解だったのかはわからないけれど、佐世子は、いつもの嬉しそうな顔をしていた。