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ガチ恋禁止条例

20XX年、「ガチ恋禁止条例」が制定された。「ガチ恋禁止条例」とは、“ガチ恋”“本気愛”“リア恋”等と呼ばれる、ファンがアイドルに対して恋心を抱く事を禁じる条例である。何故この条例が制定されたのか、時代の流れとしてはこうである。

2010年代、アイドル界は戦国時代と呼ばれる程の大きな盛り上がりを見せ、またそのアイドルたちの多くが「恋愛禁止」の条件に従っていた。アイドルは常にファンの擬似恋愛の対象として夢を見せ続けなければならない、という固定観念はその後も長く続き、その条件を破ったアイドルにはそれ相応の処分が課せられたり、自ら責任を感じたアイドルたちはこの世界から姿を消した。そういったアイドル界の風潮を、外野は今こそ叩くべき時だと指を差して嘲笑い、ファンは肩身を狭くしてその揶揄を受け入れているしかなかった。それでもアイドルに対する「恋愛禁止」の概念は弱まる事なく、今日までの長い年月、当然の事項として続いて来た。

どうにかしてこのアイドル界に蔓延る「恋愛禁止」の概念を覆したい、そう思ったアイドル好きの政治家が動き出したのだった。彼の主張はこうだった。「私はアイドルに対して恋心なんて一切抱いていない、ファンの中でも恋心を抱いているのは僅か3%しかいない事が調査より判明している、アイドルたちに安心して恋愛して貰えるように“ガチ恋禁止条例”を制定したい」。くだらない条例が出来たものだと外野はまた嘲笑ったが、国民の多くがその条例がどう施行されるのかに注目していた。

まず、ファンの元には加入していたファンクラブから「健康診断証明書の提示依頼」という書類が到着した。その「健康診断証明書」とは一般的な健康診断とは別ものであり、指定された病院に行って、1時間アイドルの映像を見ながら身体のあらゆる部分の反応を診断されるものである。医療技術の進歩により、身体のどの部分がどのように反応しているかを見ることで、アイドルに対して恋心を抱いているか否かが判断出来るようになったらしい。「アイドルに対する恋心なし」と書かれた「健康診断証明書」をファンクラブに提出して初めてファンはファンクラブの有効会員になることが出来た。その健康診断によって、多くの若いファンが「アイドルに対する恋心あり」と診断され、ファンクラブの無効会員となってしまい、再診断を受けられる半年後までにアイドルに対する恋心を失くすよう、医師からアドバイスされた。彼女たちは勿論のことその間、ライブやコンサートに足を運ぶことはできなかった。

健康診断をクリアしてファンクラブの有効会員になるだけでは、この「ガチ恋禁止条例」は勿論終わらない。恋心なしと判断されたファンたちは、若い層が居なくなり倍率の低くなったコンサートのチケットの申し込みには大層喜んだが、コンサートに行くにはもうひとつハードルがあった。それは会場の入場口で配布される「ガチ恋受信機」だった。会場内に入る人全員に配布され、全員がそれを装着しなければならない。装着を拒否した場合は、出入り禁止となる為、健康診断でも恋心なしと診断された自信のあるファンたちは迷わず付けた。しかしながら健康診断で見ていたものはあくまで「映像」であり、生でアイドルを見た途端「ガチ恋受信機」が反応してしまうファンは少なくなかった。「ガチ恋受信機」が反応した時点で途中退場となり、コンサートの開演時には満席だった客席も、アンコールを迎える頃には、目に見えて分かる程の空席祭りになった。最後まで見ることが出来たファンは、お互いにその栄誉を称え合い泣きながら抱き合った。

一方、「ガチ恋禁止条例」が制定されてからのアイドルはどうなったかと言えば、晴れて自由の身となり、オープンに恋愛事情を語るようになった。コンサートのMCでは「今日は恋人の○○が見に来ています」と発表し、恋人にスポットライトを当てて客席からの拍手を煽った。グループで活動しているアイドルたちは、大半のメンバーに恋人がいるにも関わらず一向に恋人が出来る気配のないメンバーをみんなで心配したりもした。「アイドルをやっているのに、恋人がいないなんてヤバい」という世間の目を気にして、無理にでも恋人を作ろうとするアイドルが増えた。また「ガチ恋禁止条例」のおかげで、結婚に対するファンの厳しい目からも解放された為、20代で結婚するアイドルが増えた。10代で結婚するアイドルもいるという。アイドルの早婚が盛んになったことは、晩婚化が進んでいた社会にはとても良い影響を与え、「○○くんも結婚したことだし、私も結婚しよう」という若者が増えた。

「ガチ恋禁止条例」は成功した、と誰もが思った。アイドルたちは結婚し、子供が出来ても尚、ステージに立ち続けた。健康診断で何度も「恋心あり」と診断された若いファンたちは、半年後という遠い再診断を待つのも馬鹿らしくなり、ファンを卒業して自分の夢を追いかけるようになった。「恋心なし」と診断され「ガチ恋受信機」を装着しても反応を示さないファンたちは、数の増減を繰り返してはいるものの、一定数生き延び続け、アイドル界を支えている。世界は丸くおさまった。と思っていた。

テレビを付けるとそこにはもうアイドルの姿はなかった。専門家は言う「アイドルは死んだ」「未だにアイドルと名乗っているものはゾンビのようなものだ」と。「ガチ恋禁止条例」が制定されて以降、急激にアイドルの経済効果は下降した。コンサート会場として東京ドームを使用するアイドルは居なくなった。何故なら5万5千人の「恋心なし」と診断されるファンを集められないからだ。アリーナ、ホール、とどんどん規模は縮小し、最終的にはデパートの屋上でイベントを行うアイドルがほとんどになった。「ガチ恋禁止条例」以前では、サクセスストーリーを描くアイドルの道として描かれていたルートを逆走するような形になった。しかもそこに集うファンは「恋心なし」と診断されたファンたちのみで構成される為、いわゆる黄色い歓声というものが無く盛り上がりに欠ける。「恋心なし」のファンたちは、メモ帳とペンを首からぶら下げながら、たまにそれに何かを書き込んだりしながらじっと見ている者ばかりだった。アイドルたちもステージに立っても張り合いがなく、擬似恋愛の対象として存在するのを辞め、誰かの恋人になった途端、ファンに対して誠実な対応をすることを忘れてしまった。ファンよりも大切な恋人や家庭が出来てしまったアイドルは、もはやそれはアイドルではなく、ただの人だった。専門家はそういう意味で「未だにアイドルと名乗っているものはゾンビだ」と言った。

「ガチ恋禁止条例」は、アイドルを殺す結果になった。世の中からアイドルという概念を消してしまった。条例を制定した政治家は今頃この状況をどう捉えているのだろうか。アイドルのいない世界なんて、つまらない。