ここからワンダーランド

毎回テーマに沿って4人が思い思いに綴ります

まわれ光れポワレ

兄が結婚することになった。聞いたことはあるけどどこにあるか知らない星の人と。太陽系ですらないから、相当遠いところっぽい。ソファーに寝転がりながらその知らせを聞いた瞬間、数年ぶりの再会の感傷や気恥ずかしさがぶっ飛んだ。思いつく限り質問攻めにしたけど、よれよれのトレーナーを着たその人はかわいいはずの妹の方を見もしない。冷蔵庫からコーラを取り出し、気怠げに言った。まぁ明日会った時、聞いてみたら。

初めて前にした彼女は大変な美人でびっくりしてしまった。紫の長い髪、サングラスで隠れそうに小さい顔、しなやかな首筋。のぞいた長いまつげが羽ばたいた後にバチッと目があうと、キラキラした瞳に自分が映ってしまって申し訳なくなる。少しだけ目線を落として小さな声で「はじめまして」とささやき、おでこのあたりをぼんやりと見ながら「き、きれいですね」というのが精一杯だった。よく考えると第一声で外見のことを言うのもどうかと思うけど、その時はそれ以外言葉が出てこなかったのだ。形のよいカシス色の唇を高級なジェラートのようにとろけさせて、彼女は何も言わず、にっこりと笑った。

こじゃれたカフェのテラス席で何味かよくわからないドレッシングのかかったサラダに不恰好にフォークをくぐらせる。彼女は器用に指先(…手先?)を細く伸ばしてレタスを折り込む。場所も場所な上こんな美人の前で何をどうしたらいいのか、緊張で途方に暮れていたけど、兄があまりにいつもの調子だったから(そりゃそうだけど)だんだん平常心を取り戻してきた。あとはあれだ、昼間から飲む白ワインは人生を明るくする。

最初に名前を教えてもらったのだけど地球の言葉とはずいぶん違う響きの文字列で、3度聞いても少しも覚えられなかったので、少しフライングだけど「おねえさん」と呼ぶことにした。自分の人生でこんなに輝く人が身内になる日が来るなんて思わなかったからドキドキする。

「おねえさん! なんてまぶしい響き!」 彼女は手を叩いてはしゃいだ。結婚するっていうのは家族が増えるってことなのね、と真剣な顔で言われて、こっちが恥ずかしくなってしまった。呼ぶ度に目を向けて笑ってくれることがうれしくて、おねえさん、おねえさん、と何度も口に出していたから、兄は少し不機嫌になった。子どもっぽくふてくされる情けない兄貴の姿を見て私は正直呆れたけど、彼女はくすくすと笑ってなだめるから、ああ大丈夫、結婚詐欺ではなさそうだ、と余計なことを思いながら胸をなでおろした。

おねえさんの星は太陽(…ではないけど、まぁそういうやつ)がすぐ近くにあるからすごくすごくまぶしいらしい。なので、目は糸のように細く爪のように小さい方が、髪は光を遮るべく上下左右に固くふくらんでいた方が、“美しい”。「だから、私は異形だったの」。大きな目も背中を流れる髪も。乳白色のお皿の上でかしこまっている白身魚のポワレにナイフを入れながら、この子は泳いでいた頃は美しかったかしら、と思いを馳せる。魚のみなさんの価値観はわからないけれど、今の君は私には価値があるぞ。おいしいよ。


2人が出会ったのはダンスホールだと聞いて、スプーンからチョコレートムースをぼとりと落とした。兄が? ダンスホール? まったく似合わなすぎる。付き合いで仕方なく行ったその場所で彼女を見てつい声をかけた……なんて言われても、ますます信じられない。外見だけ見て女性をナンパできるような人間ではないと思う。それが例え美しい人だとしても。

違うの、顔を見せずに踊ってたのよ。私の星で古くから伝わるダンス。小さい頃っていい思い出全然ないけど、疎まれて憐れまれて目を逸らされてばかりだったけど、これだけは褒めてもらえてたの。地球の感覚では別にきれいなものではないと思うんだけど、この人、つかつか歩いてきて、どうなってるんですか、もう少しゆっくり見せてください、興味があります、って。

……何が兄の琴線に触れたのだ。話が見えない。

見ればわかるよ、ちょっとびっくりするかも。おねえさんは立ち上がった。髪を束ね、大きく息を吸ってから背中を丸めると小さく毬のようになる。くるくると子犬のようにその場を回ったあと、ふわりと飛んだ。落ちた。また飛ぶ。光る。スピードを変えながらはずむ。

なんだこれ。ダンスなの? ダンスって言っていいの? ……いや、ダンスって言うんだからダンスなのだ。今まで見てきた何にも似てなくてポカンとするしかない。何が起きているかサッパリだ。でも、目で追ってしまう、楽しい気分になってしまう。確かに地球の人の感覚では「きれいなものではない」かもしれないけど、少なくとも幸せなものではある。おねえさんのことをまだ何も知らないけど、出口のない押しつぶされそうな日々に光があってよかった、と思った。彼女が全身でぽむぽむと愛をふりまく横で、私は2本の足でぴょんぴょんと跳ねた。